07/02/2015 “Kurt Cobain: Montage of Heck”
梅雨らしい天気が続いている東京。
先日、ニルバーナのカート・コバーンのドキュメンタリー映画見てきた。
内容は、そのままドキュメンタリーなんだけれど
家族からいろいろな映像、音源の提供をうけている事もあり
生前の彼のプライベートの映像の数々をたくさん見る事ができる。
いい悪いという評価はなく
「納得」というか、自分の抱いていたイメージとほぼ同じ。
高校生のようだけれど、
1990年ごろ彼らのファンになり
切り抜きw含め、海賊版のLive含め
いろいろ集め、聴き観たおした経緯もあり
なるほど、、って感じ
コートニーとの生活も、
ま、そうだわなぁ、って事で、
驚いたのは、短く上映館も少ない事もあってか
ほぼ満員御礼
あと、みんなとても若い、
女性も多いし
20代の人達も多かったのが意外だった。
JBの映画の時も感じたけれど
海外は、自然なものケミカル、含め
音楽と”そういうもの“は、切っても切れない関係にあり
そういう描写も多いし
SEX含め、そういう風土、環境って、
ますます薄く遠ざかってる環境の中で生きてる日本な気が
するけれど、そういう人達にはどう写ってるんだろう?
、などと、感じた次第。
映画が終わってから
監督のインタビュー映像があるんだけれど
そこは、やっぱ余分だったかな?
何か意図があったんだと妙に感じ
その事が一番頭に残ってる。(なんでやねん?!)
ドキュメンタリーとしての驚きや意外性は、あまり感じなかった
けれども、彼が残した音源の断片、テキストの数々のコラージュは
カートの内面をうまくあぶりだしていた。
で、音が流れる部分ライブ演奏の部分はとてもラウド!で
彼らのもってた音の質をちゃんと伝えよう、とするこだわりは
とてもよかった。
で、一番印象に残ったのは
結局、母親との関係をきちんと作れなかった事が
彼を作ったのね、、と感じた次第。
これって彼の問題じゃなく、母親の資質が大きいのでは?、、と
普通の感覚だけど、「あぁ、このお母さん変わってたのかもなぁ、」と。
当然、彼女だけの問題ではない、というのは理解できるけども
人って自立して生まれてくるわけでなく
やっぱ家庭で、特に母親との関係性の中で育って行くわけで。
そういう流れで言うと、お母さんとコートニーってなんか似てたなぁ、、とか。
最後に、これ彼を初めて見たときから感じる事なんだけど
どんなにラリってようが、どんな衣装を着ようが、
どんなにボロボロだろうが、そんな着飾る事とは無縁に
音を出してるときの彼は、
ホント、静かで美しい
破滅的、破壊的な爆音の中、
生々しくドロドロとした廃墟のような環境の中にいたとしても
彼は、静かで美しい
これが不思議で、ずーっと魅了され続けてる要因のひとつ。
(苦悩する彼の側に立たず、無責任な発言だという事は理解した上で)
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