2013.10.01
昨日の夜の事、
某、都内の通りを歩いていたらいきなり
「たなかさ〜ん!?」
と元メディアファクトリーの役員の方が、
僕は「えっえっ!??」
で、
「実は近くでパーティをやってるんですよ、
しかも、最後に”たなかさん”の「めざせポケモンマスター」を
みんなで大合唱して終わったところなんです!」
と興奮ぎみに話してくれた。
そして、そのまま、ほぼ終わったパーティ会場に連れていって
くれた。
ま、なんと奇遇、というか、何?この巡り合わせは!?
詳しくは書かないけれど
メディアファクトリーという会社は
ポケモンのスタート時になくてはならない会社
カードしかり、なにより、自分が作曲した数々のポケモン音楽
の発売元である「ピカチューレコード」を抱える会社だった
わけです。
今もかかわってるポケモン音楽は、一昨年までこの会社の下で
作られてきたわけで、自分は言葉では到底、表現できないくらい
お世話になってきた会社です。
その会社の最後が昨日という事です。
詳しくは、、ココみてくたださい。
まぁ、今年2013年はね、任天堂の山内さんといい
このメディアファクトリーといい、ホント、自分の人生後半の
大きな節目になる年なんだなぁ、と痛感、感無量。
パーティはほぼ終わってたんですが、
懐かしい顔にたくさん出会えました。
少しの時間だったけども、
で、僕はこのメディアファクトリーさんの社員ひとりひとりの
個性、全体の会社の醸し出してたムードがとても好きだった。
全員の方々を知っていたわけではないけれど
とても明るく、強い個性を持ったスタッフが多くてね
自分のポケモン音楽のスタート時の数々は
この会社の個性があったからこそ、生まれた!、と
強く思ってる。
2013.09.27
Eテレ、そう昔のNHK教育テレビの事、
昔の呼び名に慣れてるので、なかなかピンとこないけれど、
そのEテレの幼児番組「いないないばあっ!」の音楽を作曲した。
作詞は、みんなのうた「恋のスベスベマンジュウガニ」でもご一緒した
「もりちよこ」さんです。
0歳〜2歳児を対象にした番組です。
とても可愛い曲?です、、のつもり。
相変わらず、手弾き、と打ち込み中心にアレンジしました
番組の中では、比較的めずらしい?曲調ではないのかなぁ、
と思いますが、ま、生演奏だろうが、打ち込みだろうが
関係ないかもね。
他の作曲でもそうだけれど、
どんな風に受け止められるかは、、ホントわかんないからね。
ちょっとドキドキでもある。
結構長い間、放送されます、
しかも朝、夕と2回放送される、、
あぁ、これは凄い事では、
放送日時は
9月30日(月)〜10月3日(木)
10月21日(月)〜10月24日(木)
11月11日(月)〜11月14日(木)
時間は 朝8:25〜8:40 と夕方 4:21〜4:36
朝夕1日2回ずつ放送されます。
で、15分番組の中でランダムに放送される、との事。
ぜひ、観て観て観てみてください。
音楽の完成型は当然、何度も聞いているけども
映像になったものはまだ観てないので、
僕自身も来週、月曜の朝がとても楽しみ!
2013.09.23
任天堂の相談役、山内博さんが9月19日亡くなられた。
僕は1980年から1999年まで、ここで働いてた。
当時、山内さんは社長。
当時の任天堂は、いまほど大きくもなく
京都の片隅にある、トランプ、玩具の会社ってイメージ
普通の中小企業のひとつだった。
で、僕は入社時、山内さんから直接面談受けた社員の一人。
たぶん、僕の代くらいが山内さんから面談受けた最後の社員では
ないだろうか?
この写真は、今の任天堂本社の写真じゃなく
鳥羽街道にある旧本社の写真、
しかも、昔の事務棟は取り壊されて芝生になってる。
この旧本社が取り壊されたのはいつなのかわからないけども
旧本社の事務棟が壊されたあと、山内さんが車でこられ
その跡地を、その回りを、少しの間、眺められ
また、車で帰っていかれた、、という話しを聞いた事がある。
言葉にならないものが、沢山
山内さんの頭の中をよぎっていったに違いない。
山内さんの死去を知った時
「あ、」と特別な気持ちになったと同時に
鳥羽街道の旧本社の事が頭をよぎった。
僕の場合、たかだか19年間お世話になっただけだけれど
山内社長と共に歩んだ任天堂時代の様々な出来事を
思い出すと、きりがない。
特に「ポケットカメラ」開発に関して交わした
山内社長との色々は、とても印象に残ってるし
入社直後、業務用のTVゲーム開発時の
開発スタッフに対して浴びせられた厳しい言葉の数々は
いまでも心に残ってる。
任天堂を退社する時
山内さんに挨拶する為、社長室に行った、
その時の山内さんとの会話は
「あぁ、、おまえはあの音楽やったりしてるんやな、」
と、当時、社長室に貼ってあったポケモンの映画のポスターを
指差しておっしゃった。
自分はまさか、そんな事までご存知だったとは思ってもみなかった。
そして、
「あのなぁ、、いろいろ辞めた社員は多いけど、
みな辞めてしもうたっきり、誰一人わしのところへ
来てくれへんのや、そやけど、な、おまえな、
またな機会があったら、ぜひ会いにこい、な
ええか、、」
と笑顔で話してくださった。
でも、それは実現できなかった
結局、お葬式でお別れの挨拶する事に、
お葬式は、懐かしい顔でいっぱいになってた
たぶん、ほとんどの人が、それぞれ、
自分が働いていた当時の山内さんの笑顔
を思い出したに違いない
ありがとうございました、山内社長。
2013.09.13
昨日は、仕事がらみで、音楽スタジオじゃないスタジオへ
仕事がらみの飲み会、食事会は、基本苦手。
仕事の流れで、会社以外の場所で発生する仕事は好き
連休はゆっくり休むつもり。
2013.09.11
、ライブハウスへ。
知り合いの方がシャンソンを歌うライブへ
あぁ、こういうこじんまりしたライブハウスへ
足運ぶの、ホンマ久しぶり。
自分も10代後半から、バンドしながら
それこそいろんなライブハウス出てきた。
地下一階だったんですが、その階段を降りてるとき
なんとも懐かしい気分になった。
まず、自分はシャンソンに関してはまったくの素人。
音楽サンプルとしてのカンツォーネとかシャンソン、あぁ、タンゴ
とかは、最低限の素養として、みたいな姿勢で接したり
資料用としてのCDは所有してるけども
積極的に聴く事はほどんとない。
でも、最近、ブラジルも含め中南米の音楽にやたら接してるせいも
あって、その音楽に乗っかる詩的な感情表現だったり
フランス語の響きそのものの素晴らしさ、強さ
ありがたい事に歌詞の説明もしっかりしてくださったので、
改めてシャンソンの持ってる時代性、情緒性みたいなものを
垣間みた気がする
それらの歌が生まれる時期の時代背景とか政治的な状況は
まったくわかってないけれど、わからないなりに、
何か「ある!」んだ、、という事がわかった、w
世の中から、自然がちょっとづつ消えていくように
その音楽もね、なんか、いろんなモノがなくなったり
伝わりにくくなったり、などなど、、
あぁ、、そっかぁ、、と普段感じない事をたくさんもらった
気がする。
途中、ゲストでロシアの女性がロシア語で歌った歌も
すごくよかった。
最近自分は、その音楽を生んだ母国語の強さ、その魅力に
取り付かれてる。
2013.09.07
昔ほど、こういう場所にいる事少なくなりました。
スタジオにいると、基本、動かない。
作曲とかアレンジの作業も自宅でPCとにらめっこなんで、
まったく動かない。
本人は動かないけれど、
ドンドン変化する音を耳で追っかけて
あぁだ、こうだ、と指示を出したり、悩んだり、、と。
すると、
終わった時、妙な疲れ方をする、
で、そういう状態から手っ取り早く離れる方法は、
まぁ、どうしても食べて、飲む、みたいな事に。
プールでひと泳ぎ、とか
ゆったりしながら自然にとけ込むとか
そういう解決ができたらいいけれど
あぁ、ココは東京、
コンクリートジャングル!
居酒屋で一杯
でも気持ちよく帰宅。
帰ってまた残りの作業したです。
2013.09.04
週明けから、なんか腰重く、身体怠いなぁ、、
と思っていたら、
なんだろ?夏バテ?なのか夏風邪?なのか
ちょいと体調壊し気味
関東地方の北の方では
竜巻、とか雷雨とか
今年は、いろいろあるね、
湿度が高いのが個人的には駄目かもなぁ
なんか気怠い、
台風とか?低気圧の影響とかあるんだろうか?
とにかく気怠く、微妙に眠いっす。
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